呼吸することは全ての人にとって必要不可欠で、私達は呼吸がなければ生きてゆくことが出来ません。呼吸は常にその人と一緒にあります。又、呼吸に好き嫌いがある人はいないでしょう。呼吸は身体の機能の中で唯一出し入れをするものです。それらは、何を意味しているのでしょうか。
呼吸は私達の命の働きにインプットされている根本的な苦楽の感覚によって起こっています。吸う息が必要であっても、息を吸い続けることは出来きません。吸い続ければ苦しくなります。だから吸った息は吐かねばなりません。吐いた瞬間、苦が楽に変わります。同様に息を吐き続けることも出来ません。吐き続けることで苦しくなります。苦しくなって息を吸えば、その瞬間に苦が楽に変わります。吸った息を止めても、吐いた息を止息しても苦しみがやって来ます。これが呼吸の根本的な仕組みです。
呼吸を観察すれば命の仕組みが解ります。苦楽の感覚が私達の命を継続させ、生かしているのです。苦しみを避け、苦しみを厭うても、苦しみに怒っても、私達は生きていくことが出来ないと解るでしょう。楽を求め、楽に執着しても、楽だけでは命を継続することは出来ません。苦しみを避ける、手離すとは、苦しみに対する認識、理解を変えることにある、と呼吸が教えてくれるのです。人生の深い意味が呼吸の観察によって理解されるのです。
呼吸を観察することは【今を生きること】につながります。
私たちは今一瞬の呼吸しか知覚できません。過去の呼吸も未来の呼吸も感じることは出来ません。呼吸と意識が一つに繋がることで、常に今の瞬間に戻ることが出来きます。これがバーバークリヤ、今に生きることで、カルマを無くす方法の一つです。行動と原因と結果は一つのことであり、その三つが出会っている所がこの一瞬であり、今、自分自身がしている呼吸にあります。どうして、自分自身が今・現在、この様な姿で、このような世界・環境に存在し生活しているのか?その秘密(因果律)も呼吸の観察によって紐解くことが出来きます。
良い呼吸は無害で無料で最適な薬となります。それは自分で自分の医者になる方法の一つです。良い呼吸によって免疫力が強化され、自然治癒力が増大します。
プラーナヤーマが善い呼吸と云うことではありません。善い呼吸とは継続する一呼吸、一呼吸が、悠然として、緩やかに、深く、長く、静かに、大きく、均一に、細く、滑らかな呼吸であると私は考えています。これを呼吸の9つの要素として説いています。それを、行法として広めているのが、プラーナ・サンチャラニー・ムドラです。ジャイナ教の高僧、ムニ・シュリ・キーシャンラール師から教わった行法に、私なりの工夫を凝らして発展させた呼吸瞑想法がプラーナ・サンチャラニー・ムドラです。
本当の自分を知ること(瞑想)は呼吸の観察に始まり、呼吸の観察に終わるというほど呼吸は奥深いものです。先ず、瞑想修行の初期段階において、呼吸の観察が無ければ、本当の自分を知ること、自己認識は有り得ません。そして、様々な階梯を経て呼吸を背後で動かしているもの魂霊、そして純粋なるアートマンの理解に到達するのです。
生命とは呼吸に他なりません。呼吸に伴う身体内部の感覚であり、その感覚を知覚する意識です。呼吸の別名を【命】といい【内部感覚】と云います。
呼吸を観るとは、意識が生命エネルギーが流れることで生起する内部感覚を感じることです。その時、意識は直接【命】出会っています。生命の別名を魂霊(ジーバ)と云います。魂霊の霊の部分とは、純粋なる魂に付いた物質的な汚れのことであるから、個性別、個我であって常住(永遠で不変で、生まれることもなく滅することもない)のものではありません。その汚れを無くしたものが純粋なるアートマン・魂であり、それが神と呼ばれる概念です。生命即神の説明です
アートマン(純粋なる魂)=魂霊=呼吸=生命=感覚=意識=神=真実
これら言葉が違っていても、云わんとしている概念は一つのことをそれぞれ別の角度から言い表しているのです。
だから、呼吸を観察すればそれに伴う生命エネルギーの流れが解り、さらに流れによって起こっている超微細な感覚を通して、魂に付いた汚れを見ることが出来るのです。純粋なる魂は純粋なる水に似ています。H2Oは汚れることはありませんが、汚れないで、水として汚れを抱え込むことが出来るのです。同様に純粋なるアートマンはカルマに縛られることがありませんが、カルマの付着によって幻の個我が生まれていることが解ってきます。
呼吸の重要性は既に古代の哲人たちによって説かれていました。古代から、瞑想とは呼吸に始まり呼吸に終る、それほど重要なのです。
BC8世紀、インドの哲人、ヤージュニヤ・ヴァルキヤの著述とされる
ブリハッド・アーラニヤカ・ウバニシャツド の第三章には次のような記述が有ります。
『氣息(呼吸に伴う生命エネルギーの流れ)の中に浸透し、気息とは別物であり、気息に知られることなく、気息を身体とし、気息を内部から制御しているもの、それが汝の真我(アートマン)であり、制者(観察者)であり、不生不死なるものである。』
プレクシャ・メディテーションを大成したアチャリヤ・マハープラギヤ師は、呼吸を観察することは魂に出会うことであるとして、次のように述べています。
『呼吸は魂です。呼吸の知覚は魂の知覚です。生きているものだけが呼吸をし、意識あるものだけが生きています。魂あるものだけが意識があり、魂がなければ意識もありません。魂も意識も無ければ生命はありません。生命が無ければ呼吸はありません。呼吸の動きを背後で動かしているものが魂です。魂が離れれば呼吸は止まります。魂に誘導されるもの、呼吸を知覚することは魂そのものを知覚することになります。呼吸を知覚することはそれを動かす生命力をも知覚することになります。さらに、生命力を導く意識も知覚します。意識を知覚するだけでなく、魂すなわち意識の住み処も知覚するのです。だから呼吸の知覚は魂の知覚と云えるのです。』
<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2025/12/31からの転載です)

