コラム(勝利者の瞑想法):なぜ瞑想したくない、出来ない、解らないのか

私は少年の頃からずっと今まで登山や海外旅行を通じて、風景や自然の移ろいの中に地球の美しさ宇宙の偉大さを感じてきた。それに比べてなんと自分はちっぽけなんだろうと思っていた。30代前半の私は、ヒマラヤや西チベットのラダックを旅して自問自答した。「考えている私っていったい何だろう。感じている私っていったいなんだろう。見ている私っていったい何だろう」「なぜ私はここにいるのだろうか、どこから来たのか、どこへ行こうとしているのか」と考えた。考えても何も解らず、ただ自然景観の美しさ、崇高さに圧倒されるだけだった。

厳しい環境のラダックの荒涼とした風景やラマ教寺院が初めて来た所なのに、とても懐かしく、私は前世の体験がここへ私を呼び寄せたという気がした。さらに20歳で肺結核になったことや結婚における出会いの縁、ヒマラヤ、チベット、インドへと私の興味を突き動かす衝動が必然的なもののような気がして、その原因を知りたいと強く思った。

ヨガに興味を持ち沖正弘先生の『ヨガによる病気の治し方』を読んでヨガ教室に通い始めたのは31歳の時で、西船橋の三上光治先生の沖ヨガクラスだった。そこで8年間、三上先生の薫陶を受けた。三上先生の御縁で沖先生に出会い、沖ヨガ修道場にも通うようになった。

私はヨガの行法の中でも一番関心があったのが瞑想だった。どこかに瞑想を教えてくれる人はいないものかと探し求めていたが身近にはいなかった。座禅もしてみたが、形ばかりで私の求めているものとは違っていた。そんな時、成瀬雅春先生に出会った。1986年ごろ五反田のヨガ教室に2年程通い、合宿や倍音声明のイベントの数々に参加した。成瀬先生の指導は私の興味を満たすもので、先生から瞑想の基礎を叩き込まれたと言ってもよい。

1987年、沖先生亡き後、沖ヨガの仲間と共にタチヤ博士同行のジャイナ教研修ツアーに参加した。この時初めてジャイナ教僧侶の厳しい出家の姿に接し、ジャイナ教哲学を学ぶことやプレクシャ・メディテーションこそ私が求めていた瞑想だと解った。それから、手探り状態から始めたプレクシャ・メディテーションの納得いく理解までに20年以上の探求の年月を必要とした。

一緒にインドへ行った多くの仲間がその後、プレクシャ・メディテーションに魅せられたかといえばそうでもない。同じような体験をしたはずなのにどうして結果や方向性が違ってくるのか?それは人それぞれが内在しているものが違うからである。カルマ、経験の蓄積、潜在意識が違うので受け止め方、反応が違ってしまうのである。受け止め方、反応が違うので種、原因のカルマが変わってしまうのである。カルマは自分の身に起こってくることに対しどのように反応したかで別のものとなる。だから同じ体験をしても人によって受け止め方が違うので人それぞれ別の結果が現れる。

何に価値を見出すかはまさにその人のカルマそのものである。何時でもその時、人間は自らなりたい自分になっているのだ。瞑想できない人はまだその人がそこに入っていけないカルマを持っているということだ。何事も機が熟さないと始まらない。機が熟せば自然に起こる。物質的な物、外に向いていた関心が精神的なもの、内側に方向を変えるとき、自然に瞑想ができるようになる。

人間は生理的に体を動かす事、スポーツやダンスが好きである。じっと身体を動かさずにいる事は苦痛を感じることなのでやりたくない。常識的なことから離れ反対の事に価値を見出すようになった時、人は瞑想できるようになる。悪いものと思っていた身体の病気や痛みが実は最高の教師であり、恩人なのだと解り始めたとき人は瞑想できるようになる。また、その時、座法が安定し長時間楽に座れるようになる。

身体の健康を求めてヨガをしている人は沢山いるが、瞑想に興味ある人は極めて少ない。もっと多くの人に瞑想に興味をもってもらいたいと思うが、パソコンやスマホ、iPadの情報機器とあふれる情報に振り回されて自己を失ってしまった現代人にとって「瞑想」は遠い国の遠い出来事のように感じられるのかも
しれない。

 たとえ少数派であっても瞑想に興味を持っている、縁ある人と共に瞑想体験を深めて行くことが今私がやるべき大事なことなのだと思っている。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2012/9/25からの転載です)