コラム(勝利者の瞑想法):カルマを無くす瞑想

生命とは何か、それは「感覚を持っていて意識がそなわっている」と定義できる。地球上の生き物はアメーバーのような微細な生き物から植物、動物、人間まで全て意識があって感覚を持っている。その感覚は快楽と苦痛がある。生き物は苦痛を厭い快楽を求める。それをヴェーダンタ哲学でヴェーダナーという。生き物がヴェーダナーに支配されているので、そこにカルマが結びつく。前世の行為の結果を刈取るために何度も生まれ変わらなければならない。それが、生き物の輪廻転生である。輪廻転生から解脱するためにはカルマを消滅させること、あるいは自分は魂だと悟ることが生き物たちに課せられている。それがインドで起こった宗教、ジャイナ教、仏教、ヒンドゥー教の基本的教理である。宇宙空間には無限に近い数の形態と進化段階が違う生き物が満ち満ちていると考えられる。輝く星そのものが、より高いレベルの生き物で意識と感覚をもっているのかもしれない。

ジャイナ教は命を意識ある魂と見ていて、魂が物質宇宙に接触し活動し反応する為の肉体(物質で出来た粗雑な体)を纏ったとき、魂に汚れであるカルマが付着する。カルマの汚れを取り除けば鏡の塵を払うがごとく、魂本来の輝きが立ち現れる。ジャイナ教は個別の魂を永遠不変の実体と観た。

仏教は永遠不変の魂はないが、常に変化しながら輪廻転生していく生命という特殊なものがあると考えた。生命が原因と結果の法則に支配されているから、このカルマの連鎖を悟りによって断ち切れば、生まれる原因がなくなって涅槃に入る。その時、生命は消えてなくなって後には何も残らない。それが仏教の立場だ。

ヒンドゥー教、ヴェーダンタ哲学は生き物の中に魂と生命が別々に存在していて最深部の魂が生命にパワーを照射している。魂からの照射を受けた生命は自らが経験と活動の主体として、感覚と意識をもつようになる。生命が自分の本質は魂だと理解したとき生命は魂と一体になる。この時、生命は幻が消えるがごとく消滅して魂だけが残る。残った魂(真我)が宇宙の唯一の神(梵)の一部であって同じ物である。梵我一如である。

病気や障害、不幸が現在起こっているとすれば、それは悪いことではない。原因があって結果が起こるのは真実である。今、悪い結果を刈り取っているとすれば、過去の悪いカルマが消滅しているのだ。過去の悪いカルマが消滅することは、すなわち良いことである。また、現在、良いことが起こっていれば過去の良いカルマが消費されているのだから良いとは言えない。物事はただ縁起しているのだから本質的には善悪を超越しているのだ。今良いことをすれば未来は必ず良い結果が起こる。

今、最も良いこととは何か、それは一瞬と一つになることだ。観じようとする心(意識)を皮膚の内側に起こっている内部感覚に向ける。内部感覚に観じようとする心が浸りきると心(汚れた意識・カルマ)がきれいになる。起こっている感覚は純粋であるが快・不快を判断すると汚れは取れない。判断を手放して純粋に知覚することがプレクシャ・メディテーションである。内部感覚は肉体のレベルで電磁体のレベルで原因体(カルマ体)のレベルで、魂のレベルで内側に観じることができる。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2012/10/25からの転載です)